心を壊してしまったお話

 

 「 もう、写真を撮りたくない。 」

 

 長い間、ブログを更新しておりませんでした。

 何故なのでしょうか?

 題名をご覧になられた方は想像が容易でしょう。

  

 私の仕事は、写真を撮ること。 

 

 撮る場所へ行き、撮る事を目的として行動し 

 人や物と語り合い移動し、実際に撮り、報酬を得る仕事。 

 

 なぜに そのようなことに至ったのか?

 時はこの様になる約二年前

 写真に対し、正直に言うと疲れておりました。

 疲れているというか、完全に飽きておりました。

 毎日が同じ事の様に見え、昨日と全く同じ繰り返しと確信してました。

 

 「 商いとは飽きないである 」という言葉を聞いたことがあるでしょうか?

 

 「 まさにこれぞ真理だな 」と斜に、そして冷静に腹では笑っておりました。

 まだ心に余裕があったのだと、今ならよくわかります。

 そんな時に何ともない、ミスでも無い事柄から、大事へと発展していきます。

 坂を転げ落ちると云うこととは、つまりこういう事か・・・。

 皆さんはそういったことが 経験おありでしょうか?

 

  転倒した場所が悪かったのか、手をつく場所が行けなかったのか

  本当に色々と悪いことが、これでもかというほど重なりました。

  周りのフォローがあり支えられましたが、 そのフォローの手に気がつかず

  後から考えると振り払う様な事をし、さらなる悪手を放ちました。

 

 理由も内容も詳しく書けず、他の話で一興。

 

 将棋では、状況が悪くなると、光明を見出す色々な手筋があります。

 私はこの考え方を色々な時に使っております。

 先人の知恵を存分に拝借しようとしたのです。

 

 まず悪くなったら、戦線拡大。

 一つのところで戦いが起き、劣勢となる前に

 他の所で戦いを起こし、場を混沌とさせて、その隙に他の手を探すのです。

 

 しかし今回には該当しません。

 だって発端は私のみですので、これ以上延焼は禁物です。

 初期消火の時期はとっくに過ぎ去っておりました。 

 

 これ以上悪くならないように、耐えつつ普通に指す。

 

 当たり前の様な、この手が非常に難しいのです。

 

 私は極々普通に取り繕い、時間が過ぎるのを待ちました。

 惨めでしたが、時間も味方につける方法を選びました。

 何か他の事柄が起きたとて、私の事柄は軽くなりません。

 それでも他力本願神と、時間神などの幾多の神に身を委ねました。

 

 今となっては呆れ果てるばかりです。

 これらで自分で自分の立場を追い込む形となったのです。

  

 今まで悩んだことのない問題に直面し、日々だけが過ぎて行きました。

 正解は無いので、この期間、本当に写真が撮れませんでした。

 

 何もかも投げ出してしまいたい。

 

 社会人たるもの・・・日本男児たる・・・そもそも大人とは・・・プライド・・・

 そんな事はホントどうでも良かった。

 

 

 私は真っ先に考えたのは家族のことでした。

 

 一人だと悩み続けているフリをして

 そのままフェードアウトする考えもありです。

 十分な理由と、納得させるスキルはあるつもりです。

 

 しかし家族を抱えている以上

 なんらかで写真は撮り続けなければなりません。

 

 だって、他に何も出来ませんので (笑)

 

 プロとしてはじめて、自分の足で立った時から

 これだけは無くしてはならぬと、大切にしている事が、一つ。

 これだけは今も昔も、ずっと変わらずあり続ける事。

 

 心で一枚を切る(撮る)

 

 写真を撮る時のスタンスとして

 私はこの曖昧な定義の、「 気持ち 」を大事にしております。 

 

 カメラの性能で撮るのではなく

 撮るという「 気持ち 」に真摯な態度で、被写体に向き合うのです。

 不思議と、この「 気持ち 」は、見ると分かるのです。

 この翼があれば何とでもなると、私は今も思っているのです。

 

 しかし現状を書き記すと、どういう状態なのか?

 

 撮れる訳がない。

 

 撮れないと完全理解しつつ、撮らないとダメなのです。

 撮りたくないので、ファインダーを覗くことすら無理になりました。

 もう被写体を目で追うことができないのです。

 被写体を目で追えないので、カメラ任せにするしかありません。

 

 いや、被写体など見たくもないのです。

 

 正直すぎる一文です。

 もうどうでも良い状態で、手癖で撮っている状態。

 これは非常に悪い状態と、皆さまならすぐにご理解いただけると思います。

 

 今の世の中、写真など、ある程度は誰でも撮れます。

 

 見慣れている分、スマホで撮った方が綺麗に見える場合もあります。

 小さい画面でみるには、コントラストが高い方が有利です。

 被写界深度が深いので、くっきりと見えるのです。

 この時は素人さんが適当に撮った時より、酷かったと確信してます。 

 

 さらに試練があります。

 

 写真を撮った後、皆さんならどうしますか?

 当然モニターで見ますよね。

 カメラのモニターだけでなく、PCのモニターで確認なども。

 

 それらが、一切出来なくなりました。

 

 私の場合は、モニターを見ないとダメなのです。

 仕事なので確認するのは当たり前なのです。

 

 確認した後、補正もしないとダメなのです。

 その後、必要に応じ加工もしないとダメなのです。

 その後、当然納品などもあります。

 

 見たくないんです。

 

 何て言う地獄なんだろう・・・と天を仰ぎました。

 二週間ほど時間を空けましたが、一向に何も変わりませんでした。

 

 周りの方に助けを求めようとしました。

 

 どうやって!?

 

 助けるって、どうすればいいんだよ!!!

 現場に出てしまえば私一人しかいないのです。

 ついていくことも出来ないし、来てもらっても(笑)

 

 来る日も来る日も、空虚の心をしっかりと感じながら

 その状態を半年も続けて、回復魔法の無いRPGをしておりました。

 潤滑油を足すことなく、音を立てる心に聞こえないフリ。

 

 私の中で何かが無くなった。

 

 ここで書いていても本当に辛いものです。

 助けれるのは所詮、最終最後は自分だけですが

 私は攻撃魔法しか、今まで使ってきませんでした。

 

 と言うか、そもそも回復魔法は覚えてない。

 

 今、立っているのは、家族が回復魔法を使ってくれただけ。

 最初は突っぱねてましたが、これが私の最大のミスだったりします。 

 幸いにも妻が、非常に強力な回復魔法を使えまして

 しかも、子ども達は常時回復の能力を持っておりますので

 「 辛うじて立っていた。 」 から、「 かなり復活 」の状態であります。

 

 最近、ようやく写真が戻ってきました。

 

 やまぬ雨は無いと、世の中で励ましに言われますが

 その雨の激しさは、人により小雨であったり豪雨であります。

 基本、その前に対処すべきで、濡れぬ工夫は絶対必要。

 晴れるまでの間に、風邪を引きこじらせて、大事となります。 

 

 正直申しますと、背中の矢は抜けておらず

 強がりの仮面を外に向けて、俯かず歩くつもりです。

 

 さて、次はなんの話をしましょうか?

 

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